移山房

最初に言っておくと、山田幸男さんの店『移山房』はもうありません。
今年の4月17日になくなってしまった、不思議なお店のお話です。

1.
山田幸男さんの名前を初めて知ったのは、「銀座カフェドランブル物語」1990年。です。
(もう15年前になってしまいます。)
この本では、ランブル関口氏の弟子山田氏の最初の店の事をこう言っています。
「十一房珈琲は、関口珈琲が山田幸男を通して、現在進行形で血肉化している。」

これを読んだとんきち、思いました。
『十一房珈琲』行ってみたい! 
でもどうやって行っていいの?
住所も電話も書いていないし(当時はネットも何も普及していない時代ですから)
追求のしようがなかったのです。
結局行きませんでした。
(今思えば「blend」に、ちゃーんと載っていたんですね。本当に残念です。)

次に山田さんの名前を見たのは、柴田書店の雑誌「OYSYコーヒー・紅茶」1994年。です。
そこでは、カフェ ドゥ ワゾーの宗さんの紹介でこう言っています。
「ランブル出身のコーヒー店主は少ないが、荻窪移山房の山田幸男氏と並ぶ優等生」。と。
山田さんお店かわった様です。

そして3回目に山田さんを見たのは、今年出された「コーヒーに憑かれた男たち」2005年。
ランブルでのお弟子さんぶりが、詳しく書かれています。

山田幸男さんの店『移山房』。
行ってみたいです。
15年たった今度は、ネットがあります。
しかし、情報が少ないらしく
色々検索をかけるのですが、『移山房』なかなかヒットしません。
唯一いけそうなのは「こてまり珈琲」さんのブログの文で。
こんな事が書いてありました。

「日曜日です。またまた荻窪へ向かう。日曜日だけ開業というスタイルでちょっと普段はお目にかかれない店で、今回購入できてラッキーでした。」
(店先を写した写真までついています。)

わかりました!!
場所は荻窪。曜日は日曜日。
結局、今回も、住所も何も書いてありませんが
こてまりさんの写真をプリントアウトして、カバンに詰め込み、
電車に乗って。GO!!です。

2.
初めてなんです。荻窪。
来る前からわかっていたんですけど、やっぱり右も左もわかりません。
駅からどれだけ離れているかも、北口なのか南口なのかすらサッパリわかりません。
そうゆう時は、どうしたら良いんでしょう?
とにかく、デタラメに歩く事にしました。
気の向く方に。何となく。
しかし30分もデタラメに歩いていると、疲れてくるし
いい加減、帰りたくなりますね。
北口の交番!!
あそこで聞けば何かわかるかもしれません、、、、

「あのー。移山房と言うコーヒー豆屋さん探しているんですけどお。」

ベテラン風のお巡りさんが、住宅地図を探してくれています。
載っていない様です。

「日曜日しかやっていない店なんですけど。」
「写真はこれなんですけど。」

「隣に写っているクリーニングね。これわかりゃあインだけどねえ。見えないもんなあ。」
「わざわざ来るくらいだから、おいしいコーヒーでも出してるんだ。」
「えー。そりゃあもう。幻のコーヒーと呼ばれてまして。それはすごいと。」
(半分口からでまかせです。)
「それなら、こっちの方こそ教えてほしいなあー。」

大げさに言ったかいあって、若いお巡りさんたちも3人ほど寄ってきます。
その中の一人が、、、
「写真に写っている道路のブロックね、教会通りのやつじゃないの?これ。」
「教会通りですか?」
「どこにあるんですか?それ。」
「わかりました。とにかく行ってみます!!」

「幻の店見つけたら教えて下さいね。」
(お巡りさん4人に見送られて、豪華な出発です。)


3.
行ってみました。教会通り。
狭い路地で、沢山店が並んでいます。長〜い通りです。
だんだん店がなくなってきます。
終点の教会まで来ました。
『え?』
「移山房、なかったじゃ〜ん。」
引き返します。
今度は、教会の角を逆の方に曲がってみます。
ありました!!
やっと、ありました。写真の店が。
最初の本「銀座カフェドランブル物語」から数えて、15年越しの出会いです。
サッシのガラス越しに、中が見渡せます。

しかしね。
ガッカリです。
ちょっと、かっこわるー。
ふるくて。意味なく広い部屋。
中古の本棚と、きたない古本。
拾ってきたような家具や、ガラクタのようなものがバラバラに置いてあって、
こてまり珈琲では「工場の様」と言ってますが、
店と言うにはチョットためらいのある、
ビンに入っている焙煎豆も、しなびたような感じで色も薄く、、、

とんきちの専門店の豆の勝手なイメージでは、
「フルシティーでテカリのある、そして張りのある大粒の豆が、ビン詰めにされ
かっこいいラベルが貼ってあって、ピカピカ輝いている」
こんな感じなのですが、
ここは、照明の蛍光灯のせいか、しなびた感じがする豆が2種類だけ、
メニュー表にも5、6種類だけ。
焙煎機の排気も、部屋の換気扇に煙突の先をくっつけていて
外の道路に煙をボーボーと出しているんです。
古い富士ローヤルがからから回っています。

出てきた山田さんのイメージも、
なんか違います。
とんきちの思う、名店の焙煎士は、カフェドゥワゾーの宗さんや、どりっぷの川中さんや、
ヤギのヒゲが似合いそうな、やせ顔で、どこかぴりぴりした感じで
フトコロに刀を忍び込ませているような、いつも内心怒っているような、
緊張感のある人ばかりです。
しかし、目の前にいる山田さんは拍子抜けです。
どこにも、なんにも、隠し持っていないのです。
小柄で、丸顔で、小太りと言うよりはがっちりしたタイプで
銀ぶち眼鏡で、心からリラックスしているように、ニコニコしています。
鼻筋が通っている所は、他のマスターと共通しているでしょうか。
でも、ニコニコなんです。

なんか、いろいろイメージと違ってがっかりしたので
とりあえず、話しかけるのはやめにして、
ブレンドとブラジル・ピーベリー。200gずつ頼みました。
すると、今度は
古い冷蔵庫の中から、
ぼこぼこに歪んだ茶筒の缶を出してきて、
フタを止めていた、ぐるぐる巻きのガムテープをはがして
なんだか、カサカサした豆を出してくるのでした。

(良いとこなしの第一印象ですが、ただ一つだけ良いと思ったのは、
ピーベリーを頼んで「ピーベリーって良いんですかねえ?」とカマをかけた時の答えです。
『いやそうとも限りませんよ。これはたまたま良かっただけですから。』と言ってました。
「こりゃあ正直な人なんだなあ」「ブランドかぶれしてないんだな」と思いました。)


4.
ガッカリしながら家に帰って
飲んでみて、
ビックリしました。
本当にビックリ。
感動とビックリで、しばし呆然。
しばらく声なし。
心と体の求める。品のある。旨味たっぷりの。
砂糖を入れたかと思うほど甘い。
後味のきれいな。
絶妙コーヒーがここにありました。
新世界の体験です。
今までで一番のコーヒーかもしれません。

珈琲の最先端では
人格が味に出ます。
これは、確実です。
山田さんの事を知らなくても、
珈琲は語っています。

ランブルの上質な系譜は、
まさに、ここに生きていました。
その上にさらに、山田コーヒーがクリエイトされていると思いました。

感動コーヒーは、
涙が出そうになります。

こうゆうコーヒーが、
日曜だけのあの店で作られている事の不思議。
店の様子と、このコーヒーの落差はなんなんでしょう?
苦労して探したかいがあったなあと。ホント思いました。
どうして今まで出会わなかったんだろう。ホント後悔しました。

5.
次の日曜日には、またお伺いして、今度はコーヒーの感動を山田さんに伝えました。
焙煎も見せていただきました。
ブラジル・ピーベリーの1ハゼは、パリパリと行った感じの薄い音でした。
バチバチは爆ぜません。
『1ハゼ、2ハゼと言いますけど、皆さん火が強すぎるんじゃないですかねえ』
と言っていました。
焙煎機の中も見せていただけ、半熱風のドラムの説明をして下さいました。
シリンダーの突き当たりの全体が、φ5くらいのパンチングになっていました。

さらにビックリな事には、あと2ヶ月もしないうちに、閉店するとの事です。
「コーヒーに憑かれた男たち」の山田さんのページのコピーとともに
丁寧な閉店のご挨拶をいただきました。
そこには山田さんの経歴も書かれており
『十一房珈琲』も書かれてあります。
東京にはいまでも、有楽町と自由が丘に「十一房珈琲」があるのですが
開店時に仲間と相談して、同じ名前の店にしようとしただけで
経営は直接関係がないそうです。

その後4〜5回通いましたが、
ランブルを懐かしむ声はついには聞く事ができませんでした。

「再開する予定はないのですか?」と聞いた所。
『ハイ。今の所は、決めていません!!』と言う、
大きな声の、きっぱりとした返事が印象的でした。

『いつか、再開のおりには、ぜひ連絡を下さい。』と、メールアドレスを渡しました。
4月17日を最後に、
『移山房』は、もうなくなったのです。


移山房_a0042726_0271164.jpg



その後の夏には、
ていねいな暑中見舞いのメールもいただいきました。

これからも、山田さんのコーヒー人生に幸多き事を
心よりお祈り申し上げます。

コーヒーファンとして、
山田コーヒーの再開を心待ちにしております。
by tonnkiti2002 | 2005-11-13 00:28 | お店


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